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霧の中で

管理人「ガン」(Key系小説同人サークル「オーパー」支配人兼音楽監督)

昔話


 私は兵庫県に生まれ、育ってきましたが、阪神淡路大震災を経験していません。

 私の住んでいる地域は、被災を全くと言って良いほど受けなかったのです。

 当時私は学生でした。とある近畿圏の学校に片道3時間の電車通学をしているという、変わった学生でした。

 理由は単純で、学校の寮はなんかいやだったし、学校近くのアパートなどは非常に高く、通学定期の方が安価だったからです。

 その日、私は学校の一次限目の講義を控えていましたが、その講義に行くには朝5時前に起きねばならず、サボりを決め込んでいました。

 しかしなぜか目が覚め布団でモゾモゾしていました。

 そのとき、ゴゴゴという音と共に揺れを感じたのです。地震かと思った時には、本棚の上に置いていたスピーカーが落ちてきたりして、大きなものであると思ったものです。

 二時限目の講義から行こうと思っていた私は、居間に行きテレビをつけました。

 私はテレビの映像がよくわかりませんでした。

 私の思っていた揺れとは途方もなく違う風景が、映っていました。

 燃える建物、横倒しになった高速道路、上から踏みつぶされたような大地、私は理解できませんでした。

 時間を追うごとに物事がはっきりしてきましたが、私はどうも理解できないでいました。

 学校は、私の家と同じくほとんど被害も受けていませんでした。

 しかし、学生や教員の何人かが被災されたようで、私の元にも安否を問う電話がありました。

 交通手段がないので、しばらく家に居ました。じっとしているならボランティア、というのは全く頭に浮かんできませんでした。第一、するにもどこでどうやってどうすれば良かったのか、当時の私の頭で思いつくことができたが、怪しいものです。

 こうして田舎に引っ込んでいましたが、そうはいかなくなってきました。

 後期試験が始まりそうだったのです。

 学校側に問い合わせると、寮の開放など便宜をはかったりしてくれるそうでしたが、私は自力で学校に行って試験を受けることにしました。

 私は自分の身も家も友人も無事な身です。私の為にエネルギーを割くなら他の人にと思いました。

 試験はともかく、どうやって学校に行くかルートを考えました。

 いつも使っている東海道線は断絶、新幹線も断絶、阪急も阪神も山陽も断絶です。
 
 神戸を迂回するルートが、一番時間を計りやすいコースでした。結果から言えばこれを一番使いました。5~6時間かかりました。

 つぎは神戸で何とか動いている交通機関を乗り継いで行く方法です。これは時間が全く読めませんでした。なのであまり使わないでおこうと思いました。

 試験は時間をかけて行ったものの、順調に受けることができました。朝早い試験は友達の下宿に泊めてもらうなどして凌ぎました。

 ある朝、私は寝坊をしてしまいました。

 迂回ルートでは間に合わないと思った私は神戸ルートで行くことにしました。

 いつも乗っている電車、座って窓の外を見ていました。

 中途にあるA駅を出てから、窓の外がおかしくなってきました。 

 例えば、並行して走っている私鉄の駅が潰れているのです。また、真っ黒な地面だけだったり、空手の技を真正面から受けたような断絶したビルが
あったりしました。

 私は呆気にとられていました。ただ、ほかの乗客は普通にしていました。こんな光景が、普通にあるようなのです。

 中途の駅で終点になり、そこから足である駅へ移動です。地面がでこぼこなのは当然、こけないように唯一残っている車両を運用しているその駅へ急ぎます。
 通り一面の廃墟、ではありませんでした、そこは。むしろ、よく建物が残っていると思ったものです。

 ぎゅうぎゅうの駅から地下に降りてぎゅうぎゅうの電車に乗って、ある地点で降りてバスに向かうのですが、そこは、私がテレビでよく見た「更地」でした。そこをバスがもの言わず走っています。私はそれに飛び乗って、ある私鉄の駅まで移動しました。

 阪神淡路大震災と聞いて皆さんが思う風景、おそらくそれに近いものがバスの車窓に展開していました。建築物の「潰れ」が、たくさんありました。

 そうしているうちにある私鉄の駅に着き、そこから梅田というところまで何とか乗り継いで行きました。

 帰りも神戸ルートを使いました。ただし、同じ道をたどれません。どうやって進めばいいかわからないまま身を投じ、何とか帰ってきました。

 何回かこの神戸ルートを使いました。そこで見たのは、人々のたくましさです。

 絶句するような光景でも何ともないように日常を送る人々、焼け野原に仮設の建物で焼肉屋をやっていた人、何とか崩れていないビルで何か売っていた人、人の強さを見ました。

 私はそれからも、神戸を通って学校に行き続けました。

 ある駅の近くにあったプレハブの町は、私が学校を出るまでになくなりました。焼け野原は、今は真新しい家でいっぱいです。潰れた駅も立派に再建されました。

 ドラえもん的な比喩ですが、神戸の町はアットグングンを蒔かれたように復興してゆきました。

 今も復興は継続中ですが、私は思うのです。

 かの地も必ず、このようになると。







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  1. 2011/03/13(日) 22:14:40|
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