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霧の中で

管理人「ガン」(Key系小説同人サークル「オーパー」支配人兼音楽監督)

東京交響楽団第587回定期演奏会


 地震がなければ、25日は埼玉で日フィル、26日はサイン会のチケット取りをしてから東響のコンサートという予定でした。

 それが起きてからは、東に行くことすら憚れる思いでした。

 しかし、ただじっとしているのも息が詰まりそうなのと、東響のコンサートが小林研一郎氏に変更になり、プログラムがモーツァルトのレクィエムとベートーヴェンの英雄になったとあって、故郷が被災地となってしまったこの指揮者の思いを聴きたくて、上京しました。

 東京着は25日の夜でした。

 なんとなく、暗かった。

 建物の照明という照明が必要最低限まで落とされているのです。

 こうしてみると、文字通り東京は光り輝く街だったのだと、改めて思いました。

 次の日、コンサートでした。

 会場となるサントリーホールの周辺もエスカレーターが止めてあったり、噴水がなかったりしていました。

 ただホールはいつもと変わらず(もともとコンサートホールというのは暗めですが)ありました。

 私はホールの席に着き、当日買ったまんがぱれっとを読んでいました。やっぱり面白い。逃避と言われるかもしれないが、こうやって漫画を読むのはひと時の懐炉のようなものです。

 開演のアナウンスがありました。最初のプログラムはモーツァルトのレクィエム。これは管弦楽と合唱と4人の独唱者で演奏されます。

 合唱団が入ってきました。男声は普通の黒の礼服ですが、女声は黒のドレスでした。

 続けて入ってきた独唱陣も、女声は黒のドレスでした。

 最後に、指揮者小林氏登場。いつもは変にぴんぴんしているこの方も、今日は沈痛な表情で現れました。

 その指揮者が、まず聴衆に語り掛けました。黙祷をしたいと。

 黙祷をしました。

 コンサートホールで、客席が満席になっていても、全く音のない状態が発生するのは珍しいことではありません。

 ただ今回のそれは、黒く押しつぶされてしまうような緊張感を持っていました。

 その後演奏が始まりましたが、なんというか…

 言葉ではうまく表現できないので、喩えにします。

 クラシック音楽を知っている人なら、戦時下のフルトヴェングラーがこの曲を演奏したらこうなった、という喩えで通じるでしょうか。

 Keyをご存知の方は、AIRの晴子が観鈴を失ったとき、と喩えれば通じるでしょうか。

 神を信ずる方であれば、「この世に神はいない!」と叫んだとき、と喩えれば通じるでしょうか。

 震災というものがこの演奏を導いたのであれば、悲劇にほかなりません。

 モーツァルトのレクィエム、今回はラクリモーザ(その日は涙に暮れる日)で終わりました。

 そして、指揮者が祈りのために拍手なしでお願いしますというアナウンスをし、ラクリモーザだけもう一回演奏されました。

 演奏が終わって、響きが沈黙の中に溶け込んでいき、独唱陣が舞台を去った後、これからは通常のコンサートに戻りますというアナウンスが指揮者からありました。

 休憩。私はぱれっとを取り出し、読みました。

 緩和。

 緊張の緩和。

 マンガや小説などは所詮作り物ですが、だからこそ良い!スターマインの連中がこの音楽を聴くことが無いように。

 後半はベートーヴェンの英雄でした。

 私の価値観を一変させる演奏でした。

 鳥肌とかそんなものじゃない。

 興奮でもない。

 歓喜でもない。

 今これを書いていても、第2楽章の葬送行進曲の山場が頭に響いてはなれない。

 悲劇悲劇悲劇。

 それが大きな渦を巻いて大鎚となり粉々に打ち砕く。

 だから第4楽章が、激しく、逞しく、堂々とした勢いと力強さを持って、今まさに天空に飛翔しようとする鳥のように、観えました。

 この演奏、テレビかラジオかで被災地に届けられなかったものか。

 コンサート終了後、楽団員や指揮者、ソリストが募金箱を持って浄財を募っておられました。

 様々な催し物が、震災に影響を受けております。

 今回のコンサートも、被災地に直接届いたわけではなく、むしろ貴重な電気を使ってしまったという意見もあるでしょう。

 しかし、私がそうですが、こういうときでも普段以上のことをするのは難しいと思います。

 普段私たちがやっていることに、少し要素を加える。これでも良いのではと思います。

 例えば今回のコンサートでは、プログラムの前半を祈りに捧げ、会場で募金活動をしておられました。

 そして、個々人の生活をおくる。それはこの社会の経済をを回し、活気を齎すものでもあります。

 何も特別なことを絶対にする必要はなく、少し、たとえ僅かでも「何か」を行動する。

 多くの少しが活かされたヤシマ作戦を、我々は知っています。

 どうか萎縮しないで、普段の生活をして、少しの力を続ければ、見えている光はもっと輝くことになるのではと、思います。

 最後に。

 小林氏はよく聴衆に語り掛けられますが、ご自身のことは一切話されませんでした。氏はいわき市出身の方なので、何もないわけがありません。

 心境はいかばかりか。








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  1. 2011/03/27(日) 11:37:33|
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「私たちは最後まで戦う」

「私たちは最後まで戦う」=心身極限も、職務全う=福島第1原発復旧で東電社員
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-110326X361.html

 この、最悪の状況の中、戦っている彼らに感謝の言葉をお伝えさせていただきたいが、私の語彙ではそれを表現できない。

 ただひたすら、ごめんなさいとありがとうを繰り返したい。

 この世界の危機を救っている彼らは、それこそノーベル賞ものではないだろうか。




  1. 2011/03/26(土) 14:17:58|
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英雄

 土曜に東京交響楽団の定期を聴きに行く予定にしていましたが、震災の影響で内容が変わりました。

 指揮が小林研一郎、プログラムはモーツァルトの「レクィエム」、ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」

 もう、今の状況にこれ以上はないというプログラムです。

 レクィエムは言わずもがな。

 英雄は、全ての人に向けたメッセージとなるでしょう。

 原発の最前線にいる人たち。

 避難所で打ちひしがれながらも、強く生きている人たち。

 その避難所を支えている人たち。

 復興に寄与している人たち。

 不意に起こる闇に耐えている人たち。

 その闇を少しでも減らそうとしている人たち。

 被災地へ有形無形の応援をしている人たち。

 そして

 今も変わらず、精一杯生きている人たち。

 全てが「英雄」なのです。



 
  1. 2011/03/25(金) 23:37:53|
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テレビから

 久々に、さんまを見た。

 「踊るさんま御殿」がやっていたのだ。

 何も変わらぬこの「芸人」を見て、ある言葉を思い出した。



 笑いがみんなの心を蘇らせていった…

 ギャグとはなんとすばらしいものであろうか…

(みなもと太郎)
 
 
 乗っていた船が難破し、絶海の孤島に投げ出された人物が、ある滑稽な情景を見て笑った時に添えてあった一文である。

 さあ、笑おう!








 あるチャンネルで、避難所の被災者の方々に出演していただき、自らの息災を知らせたり、縁者の名前を示して連絡を請うといった企画をやっていた。

 吹き飛んだ原発よりも、町を覆い尽くす黒い津波よりも、マグニチュード9という数字よりも、この災禍を雄弁に語っていた。








 最近やっと、テレビにCMが流れ始めた。

 その大部分は公共広告機構のものである。

 ある人が、自分にとって一番良い本というのは、自分を思考に導くものであるといった。

 それをCMに当てはめると、このCMになるのだろうか。

 特に真新しいことを伝えているわけではないが、考えさせられる。

 思えば、昔はこういうCMが公共広告機構でもなくてもあったように覚えている。

 シチズンだったか、一秒で語ることのできる言葉を集め、それを時計の刻みと共に語っていくというCMがあった。

 たった15秒から30秒、それでも分厚い本を読破したような閃きに満ちていたものだった。

 またこういうCMが作られないものだろうか。













  1. 2011/03/15(火) 22:20:14|
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昔話


 私は兵庫県に生まれ、育ってきましたが、阪神淡路大震災を経験していません。

 私の住んでいる地域は、被災を全くと言って良いほど受けなかったのです。

 当時私は学生でした。とある近畿圏の学校に片道3時間の電車通学をしているという、変わった学生でした。

 理由は単純で、学校の寮はなんかいやだったし、学校近くのアパートなどは非常に高く、通学定期の方が安価だったからです。

 その日、私は学校の一次限目の講義を控えていましたが、その講義に行くには朝5時前に起きねばならず、サボりを決め込んでいました。

 しかしなぜか目が覚め布団でモゾモゾしていました。

 そのとき、ゴゴゴという音と共に揺れを感じたのです。地震かと思った時には、本棚の上に置いていたスピーカーが落ちてきたりして、大きなものであると思ったものです。

 二時限目の講義から行こうと思っていた私は、居間に行きテレビをつけました。

 私はテレビの映像がよくわかりませんでした。

 私の思っていた揺れとは途方もなく違う風景が、映っていました。

 燃える建物、横倒しになった高速道路、上から踏みつぶされたような大地、私は理解できませんでした。

 時間を追うごとに物事がはっきりしてきましたが、私はどうも理解できないでいました。

 学校は、私の家と同じくほとんど被害も受けていませんでした。

 しかし、学生や教員の何人かが被災されたようで、私の元にも安否を問う電話がありました。

 交通手段がないので、しばらく家に居ました。じっとしているならボランティア、というのは全く頭に浮かんできませんでした。第一、するにもどこでどうやってどうすれば良かったのか、当時の私の頭で思いつくことができたが、怪しいものです。

 こうして田舎に引っ込んでいましたが、そうはいかなくなってきました。

 後期試験が始まりそうだったのです。

 学校側に問い合わせると、寮の開放など便宜をはかったりしてくれるそうでしたが、私は自力で学校に行って試験を受けることにしました。

 私は自分の身も家も友人も無事な身です。私の為にエネルギーを割くなら他の人にと思いました。

 試験はともかく、どうやって学校に行くかルートを考えました。

 いつも使っている東海道線は断絶、新幹線も断絶、阪急も阪神も山陽も断絶です。
 
 神戸を迂回するルートが、一番時間を計りやすいコースでした。結果から言えばこれを一番使いました。5~6時間かかりました。

 つぎは神戸で何とか動いている交通機関を乗り継いで行く方法です。これは時間が全く読めませんでした。なのであまり使わないでおこうと思いました。

 試験は時間をかけて行ったものの、順調に受けることができました。朝早い試験は友達の下宿に泊めてもらうなどして凌ぎました。

 ある朝、私は寝坊をしてしまいました。

 迂回ルートでは間に合わないと思った私は神戸ルートで行くことにしました。

 いつも乗っている電車、座って窓の外を見ていました。

 中途にあるA駅を出てから、窓の外がおかしくなってきました。 

 例えば、並行して走っている私鉄の駅が潰れているのです。また、真っ黒な地面だけだったり、空手の技を真正面から受けたような断絶したビルが
あったりしました。

 私は呆気にとられていました。ただ、ほかの乗客は普通にしていました。こんな光景が、普通にあるようなのです。

 中途の駅で終点になり、そこから足である駅へ移動です。地面がでこぼこなのは当然、こけないように唯一残っている車両を運用しているその駅へ急ぎます。
 通り一面の廃墟、ではありませんでした、そこは。むしろ、よく建物が残っていると思ったものです。

 ぎゅうぎゅうの駅から地下に降りてぎゅうぎゅうの電車に乗って、ある地点で降りてバスに向かうのですが、そこは、私がテレビでよく見た「更地」でした。そこをバスがもの言わず走っています。私はそれに飛び乗って、ある私鉄の駅まで移動しました。

 阪神淡路大震災と聞いて皆さんが思う風景、おそらくそれに近いものがバスの車窓に展開していました。建築物の「潰れ」が、たくさんありました。

 そうしているうちにある私鉄の駅に着き、そこから梅田というところまで何とか乗り継いで行きました。

 帰りも神戸ルートを使いました。ただし、同じ道をたどれません。どうやって進めばいいかわからないまま身を投じ、何とか帰ってきました。

 何回かこの神戸ルートを使いました。そこで見たのは、人々のたくましさです。

 絶句するような光景でも何ともないように日常を送る人々、焼け野原に仮設の建物で焼肉屋をやっていた人、何とか崩れていないビルで何か売っていた人、人の強さを見ました。

 私はそれからも、神戸を通って学校に行き続けました。

 ある駅の近くにあったプレハブの町は、私が学校を出るまでになくなりました。焼け野原は、今は真新しい家でいっぱいです。潰れた駅も立派に再建されました。

 ドラえもん的な比喩ですが、神戸の町はアットグングンを蒔かれたように復興してゆきました。

 今も復興は継続中ですが、私は思うのです。

 かの地も必ず、このようになると。







  1. 2011/03/13(日) 22:14:40|
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私的なこと


 今回の地震のことを知ったのは、金曜の3時過ぎでした。仕事中だったもので、聞き流す程度でしたが、まさかここまでの規模とは想像すらつきませんでした。

 あれから数日が経過しました。

 被害に関する情報は、良くないものが多く、このような事態に自分が何もできないのが悔しくてなりません。

 しかし、がむしゃらに動き回っても迷惑になるのはわかりきったこと、ましてや私は普通の人に比してかなり低い能力しか持ち合わせていません。

 今できることはと思い、少々の募金をしたのみです。



 テレビに映る惨禍は日毎に増し、それを伝える報道にすら嫌悪感を覚えてしまうぐらいです。

 しかしここで私は、阪神淡路大震災を思い出すのです。

 瓦礫と焼け野原からあの地域は復興をとげ、今もそれは続いています。

 だから今日の被災地も、明日には必ず復興のシンボルとなる。私は確信しています。



 ニュージーランドの首相がこう仰ったそうです。

「今度は私たちの番だ」

 今世界が、被災地の方々の為に祈りを捧げています。涙が出るではありませんか。



 地震の起こったのは金曜の午後でした。普段ならそのまま休息の土曜日曜へと流れていく時間。

 それが狂いました。

 しかし、皆は狂わなかった!災害という大自然を相手に、果敢に立ち向かい、一致団結してこれを乗り越えようとしている。

 これだけでも、この国は世界に誇れる。




 私のような者が感じることはないのかもしれませんが、焦燥感の他に、虚無感を感じます。

 仙台、私は何度も、あらゆる手段で行きました。

 バス、新幹線、飛行機、自家用車…

 今その街が悲鳴をあげています。なんとかせねば!
 
 私に心地よい時間を過ごさせてくれた街に、何かできないかと。

 そしてそのきっかけになった「杜の奇跡」!

 今私はこのスタッフの方の安否がわかりません。でも、また5月になったら、あの仙台のあのホールで、サークルの皆様やスタッフの皆様、一般の皆様と元気な挨拶を交わせることを、楽しみに、そして希望に思っています。




 もうすぐ日曜が終わります。

 月曜になれば、皆さんもそうでしょうが、被災地外の大半の方々は「平日」に戻ってゆくのでしよう。

 堂々と「平日」に戻りましょう。それは決して被災地を忘れることではありません。寧ろそれを念頭に抱いて、我々の生活を守りながら復興に寄与するのです。

 普段の義務を果たしながらの「手助け」は必ずできる!

 私たち一人一人が、普段の私たちを投げ出さないことが、復興につながるのです。


 頑張りましょう。




  1. 2011/03/13(日) 22:11:07|
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【特別寄稿】渡辺由佳里のひとり井戸端会議「いま、黙っている理由」


【特別寄稿】渡辺由佳里のひとり井戸端会議「いま、黙っている理由」
http://news.livedoor.com/article/detail/5409712/

>とくにふたつめについて。
「日本の米軍は何もしてくれない」とか「原発のメルトダウンをなぜ最初から予測していなかったのか」とか「政府は何もせずに眺めているだけ」といったツイートを読むと、悲しくなるからです。

というのは、TVや新聞が書かなくても、地震が起きた時点で、米国政府は日本政府に援助の申し入れをし、日本政府が要望する形ですでに動いていましたし、原発についても、最初の放射能漏れの時点から、メルトダウンを含めて惨事の可能性があることは専門家には分かっていて、それをくいとめるために必死に対応しているのは明らかなのですから(こちらの報道では、早い時点でその話をしていました)。ただ、それを公に発表しなかったのは、パニックを恐れてのことでしょう。断言してもいいですが、現場の人は命をかけてくいとめようとしています。

自衛隊だって、雀の涙のような予算なので、在日米軍の同じレベルの軍人に比べると本当に可哀想な待遇だと知人から聞いたことがあります。米国の軍人のように国民から普段「ヒーロー」扱いされることはありません。それなのに、惨事が起こると「もっと頑張ってくれないと困る」とあてにされ、責められます。

地下鉄サリン事件のときもそうだったのですが、表面に見えない多くのヒーローたちで日本は成り立っているのです。誰にも感謝されないのに、自分が危険な時にもコツコツと義務を果たし続ける人で。

だから、こんなに大規模な地震が起こっても、他の国のような二次災害(泥棒、暴力、ルーティング)などが起こらず、被害が最小限に食い止められるのです。

テレビに映っていない努力のほうが多いのです。<

>ひとつだけ確かなことは、いま文句を言うことで事態はよくならないということです。

なぜなら、これが終わったら、またみんな普通の生活に戻り、自分で率先して行動するなんて、考えないからです。そして、次の惨事が起きたら、また文句を言うことで満足してしまう。

****

遠く離れている人びとが「何かをしてあげたい」と物資を送りたくなる気持ちは分かります。

けれども、ぜひお願いしたいのは「物を送らないこと」。いろいろな提案はごもっともですが、あえて言います。

現場が必要に応じて柔軟に対応できる「お金」だけにしましょう。

今はまだ、被害の査定をし、何がどのように必要なのかを現場が分析しているところでしょう。そこにいろんな「物」が来てしまうと、かえって迷惑です。それを仕分けするための人も必要になりますし、運送にお金も手間もかかります。何よりも「使えないもの」「要らないもの」はゴミになります。役に立つよりも、迷惑になることのほうが多いのです。

私は災害のときに寄付する機関を決めています。(Doctors Without Borders、あるいはRed Cross)。残念なことですが、災害が起こるたびに、本当にちゃんと使ってくれているかどうか不明な団体が生まれます。それに騙されないようにしてください。

今回は、日本赤十字にするつもりなのですが、サーバーがダウンしていますので待っています。<





  1. 2011/03/13(日) 14:29:32|
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昨日から



 昨日から、祈りの音楽ばかり聴いている。

 私に今できるのは、ただ祈るのみ。

 日本全国のみならず、世界中の人たちがみんなのことを想い、祈りを捧げています。

 なんとか堪えて、耐えて、頑張って!

 


  1. 2011/03/12(土) 18:43:59|
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地震


 皆様の息災を、心からお祈り申し上げます。
  1. 2011/03/11(金) 19:01:37|
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